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序
☕️【うみなつ珈琲】・🍶【のぶた】
/📗『土佐日記』
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☕️【うみなつ珈琲】
長野市長野桜枝町821
🍺ハートランド
🍪スコーン
🍋レモンケーキ
🍶【のぶた】
長野市南千歳町857
🍺ハートランド
🥢おばんざい4点盛り
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青空が綺麗な一日でした。善光寺から駅前まで降りていく。
考え事は歩いていると、良い形にまとまってくる。
数ある考え事のほんの少し、あふれたものが「思いつき」。
それを何か文章に残しておきたい。その場がこのInstagramの世界でもあったりします。知識の保管庫ですが、自身の言葉なので「エッセイ」。
(読んでくれている人がいて嬉しい)
「エッセイ」、もとはフランス語で「試み」。
「エッセイ」は誰でも書く事ができる。韻を踏んだり物語を練ったりしなくてもよい。心に浮かんだことを書いておく。気軽に読めて、それでいて、はっとさせられる見方や蘊蓄に富んだもの。人をいい気持ちにさせるもの。自分の気持ちが良くなるもの。
「エッセイ」とは、・・・突き詰めたら自慢話。
「清少納言」は優れた文章力で書いている。自分の頭の良さ、モテた、褒められた、という自慢話・・・「枕草子」である。
「兼好法師」は、人々は下賤と書いている。そして真実を捉えてしまう自分は優れている、という自慢話・・・「徒然草」である。
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『土佐日記』
📗『土佐日記』
紀貫之
成立時期は未詳 934年後半〜935年頃
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「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。」
(男の人が書くという日記というものを、女である私も書いてみようと思う…。)
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有名な書き出しで始まるこの日記の作者は、実は男性でした。書いたのは紀貫之。古今和歌集の編纂にもあたった、平安時代を代表する宮廷歌人の一人です。
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「かくあるうちに京にて生れたりし女子(子イ無)こゝにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。」
(人々は楽しそうに出発準備をしているが、何も言う気が起こらない。子どもを連れて帰れないことばかりを悲しんでいる。)
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「土佐日記」は、仮名で書かれたエッセイ。歌が織り込まれ、情景描写も優れているし、憂鬱を乗り越える心持ちも語られている。・・・突き詰めたら「自慢話」かもしれない。
ですが。
当時、男性が日記を書くときは「漢文」でした。悲しみを漢文で表そうとしても、「悲也」「涙如雨」・・・など二文字、三文字にしかならない。土佐で亡くなった子を思う場面には、深い親の悲しみが描かれています。
紀貫之は悲しみを表現したく「仮名」を使うことを。
その「仮名」を使う女性になりすますことを。
試みたのだ、と思うのです。
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想うこと
📗🖌️🍺📗🖌️🍺
僕はInstagramの世界では「エッセイスト」。
今日はハートランドのハシゴで考え事。
自慢話になっていないかな・・・気をつけよう。
【うみなつ】 さん
【のぶた】 さん
「仮名」なのは偶然。
📗🖌️🍺📗🖌️🍺
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