毱花麦酒/小説智恵子抄

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毱花麦酒

Mallika Brewing クラフトビールカフェ 026-217-2585
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「あんまりいいお天気だから、わたし空を探しに行ってきましたの・・・」
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善光寺参拝へ。
高村光雲(1852〜1934 )と、その弟子米原雲海が作成した仁王像がある門を抜けて、善光寺本堂まで。お正月の雰囲気を味わってきました。

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毱花ブルーイング
善光寺参拝帰りにクラフトビール
「長沼」の紅玉🍎。アップルサイダーを使用したビール。今日の青空に合うような爽やかな酸味。美味しく頂きました。久々の再訪ですが、オーナー夫妻さんに憶えていただいていて、嬉しかったです。

小説智恵子抄

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『小説智恵子抄』
佐藤春夫 1957

「年少の読者が詩集『智恵子抄』を解読のためには多少の役立つところのあるのも疑わないし、また原詩集がわが解釈の不備で傷つくはずのないのを信じ、安んじてこれを上梓する」
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高村光太郎 1883〜1956
高村智恵子 1886〜1938 (旧姓「長沼」🍎)

「智恵子抄」1947・1950
・・・智恵子は東京に空が無いといふ、・・・
・・・ほんとの空が見たいといふ。・・・・・

佐藤春夫は1917年に谷崎潤一郎と親交を深めた頃から小説を書き始めました。「小説智恵子抄」は1956年から一年間、雑誌「新女苑」に連載された小説です。佐藤春夫と高村光太郎との出会いは1910年まで遡り、1956年の光太郎の死まで交友は続きました。

1911年「青鞜」創刊号の表紙は長沼智恵子が描きました。
高村光雲の息子「高村光太郎」と「長沼智恵子」との出逢いから小説は始まり、・・・晩年を精神錯乱のうちに過ごした智恵子が、昭和13年10月5日夜、光太郎の手を握りしめながら、53歳の生涯を終えるところまで・・・を描いて終わります。

高村光太郎が結婚を決意したのは、智恵子の後ろ向きの裸身をとらえたから・・・。
二人で上高地を訪れていたこと・・・。
光太郎が前から約束してある智恵子のいう「ほんたうの空」を二人で見ようと思ったこと・・・。

高村光太郎・智恵子と親交があった佐藤春夫の「小説智恵子抄」にふれると、「智恵子抄」がもっと自分自身に近づいてくるようです。それまでは「智恵子抄」を読んで、詩の世界に酔って、いい気分になっていただけ。知っているようで、感じているようで、「ほんたうは」何も知らなかった。

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朝の空を見て街に出ようと思ったのでした。
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善光寺まで向かって良かった。
新しい一年の始まりを感じて、
フラリと鞠花さんに立ち寄って。
青い空、仁王像、夫妻、長沼・・・。
そんなイメージをつなげて、
「小説智恵子抄」を思いつき書き込み。
美味しいビールも飲めました。
(これが一番でした。またフラリと立ち寄ります。)
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冬の朝なれば こころいそいそと励み また高く叫び 清らかにしてつよき生活をおもふ
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