『おでん屋ひろびろ』/『釣りバカ日誌3』1990

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🍢『おでん屋ひろびろ』

🍢『おでん屋ひろびろ』

長野県長野市鶴賀1474

夕方五時より開店のお店です。ひとり飲んでいたお店でこの場所を教わり、探してみました。お店見つけるだけの心持ちだったのですが、お店の佇まいと看板の灯をみて、扉を開けたのでした。街の隙間に隠れているようなところ、「おでん」と書かれた渋めの提灯、そして可愛らしい「うさぎ」の暖簾・・・ここに女性の気配を感じる・・・。何かいい予感がしたのです。こんばんは。店主さんに迎えいれていだきました。カウンターには常連さんがひとり。

🍢おでんの盛り合わせ

🥃焼酎の水割り

おでん屋さんですが、居酒屋ならではのお品書きが用意されています、。のんびりと「懐かしい空気感」が漂っています。BS登山番組(ネパール)を観ていらして、店主さん、解説のイモトアヤコよりマニアックなコメントをされている。なぜならネパールには昔に行ったと。こんな過酷なところに。その話の方が興味深い。色々経験をされていて、そして、今はおでん屋さんの店主。なんか羨ましい。店主さんの年齢をお伺いしました。感受性豊かな年頃が、ちょうど昭和から平成へ移ったあたりなのでは、と思います。そして「平成」という時代を生きてきた。僕はその頃何をしていたのかな、とカウンターでお酒を飲む。これも居酒屋での過ごし方。

登山番組って、なかなかの「地味さ」。どこから観ても同じ。しばらくして店主さんが時間を気にされていて、「途中で替えますね、釣りが・・・」と言う。常連さんも頷いている。「それが終わってから戻しても、登山番組は同じだから」と、また興味深いことを言う。常連さんも頷く。釣り番組も同じなのでは。ずっと同じの「地味さ」。好きな人はずっと観ていられる。お酒と共に。カウンターとその向こうでのんびりと。そういうものだ・・・。番組が替えられる。始まった番組は。

「釣りバカ日誌3」・・・。その「釣り」か!

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🎬『釣りバカ日誌3』1990

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「釣りバカ日誌」

鈴木建設営業三課に所属する浜崎伝助(ハマちゃん)は仕事中でもずっと趣味の釣りばかり考えているサラリーマン。ある日、伝助は偶然出会った老人鈴木一之助(スーさん)と一緒に釣りに出かけ、手ほどきをしたことで一之助の「釣りの師匠」となる。この一之助こそ、実は伝助が勤める鈴木建設の社長であった。

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🎬『釣りバカ日誌3』1990

ハマちゃんと彼を心から支える妻みち子。そんな2人の悩みは子宝に恵まれないこと。スーさんはそんなハマちゃんを励まそうと自身の思い出の地・星ヶ浦へと釣りへ誘う。その彼らに船頭の松造から「この人も一緒にお供させてやってくれ」と言って頼まれ同乗させた女性・雪子は、スーさんがかつて戦時中に現地で恋した女性の娘だった。雪子は毎年母の命日に星ヶ浦へお墓参りをしているが、そのお墓も近いうちにリゾート計画によって立ち退きを迫られているという。スーさんは、後日その元凶が自分の会社である鈴木建設だったと知る。そんな中、星が浦でリゾート開発反対運動が盛り上がった。スーさんと幹部社員一同は新聞に載っていた写真を見て驚く。そこにはハマちゃんが大きく写っていた・・・。

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映画『釣りバカ日誌』は1988年12月24日に公開されました。(1989年1月8日から「平成」になります。)このシリーズは2009年公開の「釣りバカ日誌20ファイナル」まで制作され、平成の人情喜劇として幅広い世代から愛され続けています。

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想うこと

🍢✨🍢✨🍢

始まった「釣りバカ日誌3」。とても懐かしいです。序盤だけで、全ての記憶が呼び起こされました。シリーズの中では一番面白かった。今は亡き方々も見受けられます。(TARAKOさんとか)。1990年を想う。ヒットチャートでは「おどるポンポコリン」「浪漫飛行」「今すぐKiss Me」「真夏の果実」・・・。映画では・・・・。ああ、振り返ると泣けてきます。

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「おでん屋ひろびろ」

新旧を取り混ぜた不思議な時間が始まっていました。どの時代も、自分自身を中心に世の中が廻っていたのでは、と錯覚してしまいます。カウンターに集まる人って、皆そういう気持ちになっているのかもしれませんね。

僕は、名残惜しくも、映画の途中で退出です。行かないと。

「釣りバカ日誌」が終われば、また登山番組になり、そして、次のお客様も来るのでしょう。不思議だけど懐かしい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございます。また来よう。

🍢✨🍢✨🍢

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