【ホシボックリ】/『ムーミンパパ海へいく』

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《序》

ここは、かくれた場所であって、しかもあけっぴろげでした。自分を見ることができるのは、鳥だけなんです。

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🥣【ホシボックリ】

🥣【ホシボックリ】

長野県長野市篠ノ井布施高田876

〈気ままなスープランチ〉

サラダ・お豆腐・ヨーグルト・ドリンクバー

5種類以上の野菜を煮込んだスープがメインのランチ

🍝ナポリタン

探している本があってサイトで検索、長野市篠ノ井の「南部図書館」でヒット。せっかくこの辺りに来たので「ホシボックリ」さんでランチ。僕が最後のお客様。ランチ終了の案内板が表に出されました。読書に時間がかかっていたら・・・、特技が速読でよかった。

どのメニューも美味しいものなのですが、読了後のなんとなく、という「気ままな」気分なので、「気ままなスープランチ」にしました。美味しいものがみんなそろっていて、身体に良いものばかり。そして、ナポリタンには、粉チーズとタバスコは必須だと思っている僕です。幸せな気分になります。「おひとりさま」ならではの幸せ。好きな人と会話をしながら、という食事も幸せなのですが、思慮深くなって、感覚を研ぎ澄ましている時は、孤独がいい。美味しいものの中身にある思いやりや優しさに気づく、そして、お店の空気感の源に近い、オーナーさんの心遣いを見つけることもできる。不思議な繋がりなども。

「ムーミン」の作者トーベ・ヤンソンは「少女のころ灯台守になりたかった」、と書いている。毎年家族で夏を過ごす島の周辺には、たよりない光を出す小さな灯台しかなく、「いつかお金持ちになって、海全体をくまなく照らす大きな灯台を建てたい」と願っていたという。

善人には生きづらい世の中には、孤独でいる必要がある。孤独は時に心地よい。

「いつかお金持ちになって・・・」、・・・僕らは、そこから先に願う夢に、「本当の孤独だった頃」の自由と冒険を織り込めているのだろうか。

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📘『ムーミンパパ海へいく』

📘『ムーミンパパ海へいく』

トーベ・ヤンソン 1965 

1965年に出版されたムーミンの最後から2番目の小説。ムーミン一家が、安全で慣れ親しんだムーミン谷から遠く離れた灯台の島に引っ越します。島は、海や嵐、自然の脅威にさらされています。この物語は、ムーミンパパが「平和でうまくいきすぎている暮らし」に不満を抱き、自分自身、つまり自分の本質を見つけようとする物語です。ムーミンパパは赤ん坊のとき、「ムーミン捨て子ホーム」の階段におきざりにされました。(しかも新聞紙にくるまれて!)。捨て子ホームではしっぽに不吉なしるしをつけられ、おじぎをするときは、しっぽを45度の角度でうえにぴんと立てねばなりませんでした。規即ずくめのその場所から短い足で必死に脱走したパパが、自由と冒険に憧れるようになったのはとうぜんといえばとうぜんです。ムーミン一家にはしばしば、嵐、洪水、彗星、などの災難がふりかかる。でも、その災難のあとの「日の出の美しさ」や「コーヒーのおいしさ」は、憧れるだけでは得ることはできない。自由と冒険があってこそなのです。

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想うこと

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「ホシボックリ」さんにて。「気ままな」短い時間でしたが、いろいろ想いに耽ることができました。海のない県でも、空想で孤島に行くことができたように思います。その気になれば、砂浜に寝転んで、青空を眺めることもできるものなのだ。人生は「気ままな旅」。どこかに「幸せ」を見つける旅。

《追記》

美味しい「ナポリタン」をいただきながら眺めていた本棚。オーナーさんが今まで読んで集めてきた本の数々。文庫本も並びます。その中に、

『ヨーロッパ退屈日記』(伊丹十三)1965

がありました。心わき踊る!ここに置いてあるなんて!

嬉しくなって、オーナーさんへ声掛け。この本(スパゲッティの項)について話すことができました。「フォークにくるくるとスプーンの上で巻きつける食べ方は、この本のあと、日本中に広まって・・・」、「日本人のアルデンテ論争のきっかけ・・・」と語りました。同じ読者として出会えたことが嬉しい。「気ままなスープランチ」が呼び込んだ幸福かと思いました。

・・・そして。

『ムーミンパパ海へいく』

『ヨーロッパ退屈日記』

どちらも『1965年出版』

・・・幸福の巡り合わせ。

🥣✨📘✨

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