黒姫童話館/黒姫物語

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黒姫童話館

黒姫童話館 026-255-2250
黒姫童話館 · 〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻3807−30
★★★★☆ · 美術館
黒姫童話館&童話の森ギャラリー
黒姫童話館は世界の童話、絵本、信州の民話などを収蔵、展示しています。ミヒャエル・エンデや松谷みよ子コーナーで構成しています。童話の森ギャラリーでは信濃町や黒姫高原にゆかりのある作家の作品を展示しています。ホール、時に野外で楽しいイベントも開...

秋という字に心。秋の終わりは「愁」の心持ち。風はもう冷たいのですが、それでも流れていく景色は輝いて見えます。黒姫童話館の営業期間も11/30までです。その後は冬季休館になります。信州の冬景色も待ち遠しいのですが、4/4まで童話の世界はお休みとなります。愁に浸って自分の影を見ながら落ち葉の道を歩くことが好きで、秋の最後は黒姫童話館に訪れています。黒姫童話館で語りたい本は沢山ありますが、今回は「黒姫物語(松谷みよ子)」です。この信州の北の地に数多く残る黒姫伝説を民話として構築されたものです。黒姫伝説のバリエーションはいくつかありますが、松谷みよ子さんの「黒姫物語」が、自分自身の心を豊かにするようで、感動できるものだと思います。絵本として民話として、人々に伝えやすいものになっています。

黒姫物語 松谷みよ子

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「信濃の民話」瀬川拓男・松谷みよ子・編

はなし 中野市中町 綿貫市郎

はなし 中野市中町 松谷せつ

再話        松谷みよ子

むかし、中野鴨ガ岳のふもとに小館城というお城がありました。そのお城に高梨摂津守政盛という殿様が住んでいた頃のことです。政盛には黒姫という世にも稀な美しい姫君がいました。

高梨摂津守政盛とその娘である黒姫が家来達と花見に行く。桜と春の空に並ぶ北信五岳を眺めながら盃をあげていると、桜の花の隙間から白蛇が降りてきたので、政盛の命により黒姫は白蛇に盃を飲ませた。その日の夜、黒姫の枕元に狩衣姿の立派な小性が立ち、私の妻になって欲しいと告げる。黒姫は小姓へ道理として父に話をするようにと伝え、夢かと思いながら再度眠りについた。数日後、城へその小姓が訪れて黒姫を嫁にもらいたいと申し出る。政盛が会って身元を訊ねると「私は湯の山の奥、大沼池の主で黒龍というものです。・・・」人間ではない事に驚いた政盛は、きっぱりと断るが、黒龍の訪問は止まない。百日目の後、政盛は試練と言いながらも罠を仕掛け小姓を痛めつける。小姓は怒り四十八池の水をこの地に落とすべく嵐を呼ぶ。里々へ洪水が襲いかかり地獄のような有り様を見た黒姫は、嵐を静めるべく黒龍に訴える。黒龍が黒姫を背に乗せて天高く昇っていくと青空となり里々が晴れ渡っていく。この日から黒龍と黒姫は、黒姫山の池に幸せに暮らしている。

黒姫物語 キーワード解説

「高梨政盛」

信濃国中野小館の国人。室町時代後期から戦国時代にかけての武将。上杉謙信の曽祖父(大叔父?)にあたる。

「高梨氏館」

長野県中野市小館にあった高梨氏一族の居館。国の史跡。土塁、堀などが残る史跡公園(高梨館跡公園)として整備されている。

「鴨ヶ嶽城」

高梨政盛が平時に居住する高梨氏館と共に築城、廃城されたと言われている規模の大きな山城。

「大沼池」

長野県の志賀高原にあるエメラルドグリーン色の湖。標高1,694mに位置し周囲5km、水深26.2m、透明度13.5m。湖水は酸性が強く魚類は生息していない。志賀高原を代表するトレッキングコースはこの大沼池を経由する。

「四十八池」

四十八池湿原。志賀高原の志賀山と鉢山の間の標高1,880mに位置。ひとつの池ではなく、湿地に池が点在する地域。60ほどの池があり、天候などにより増減する。

「黒姫山」

長野県上水内郡信濃町にある標高2,053mの成層火山。火口原には七ツ池という湿原地、峰ノ大池がある。

民話の世界 松谷みよ子

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民話の世界

松谷みよ子 1974

民話に魅せられて、日本各地に採訪を重ね、やがて、民話は山の向こうにあるのみではなく、自分自身もそして誰もが民話の語り手であることを自覚してゆくまでの著書の心の過程と感動を語りながら、民話の面白さ、豊かさを紹介している。

松谷みよ子さんが母や姉夫婦と疎開した村は長野県下高井郡平野村(現・中野市) 。過ごした三年間の思い出はとても仕合せで豊かであった。ところが民話の採訪に久方ぶりに訪れた時、村の人々がこもごも語ってくれた村の歴史は悲惨なものであったことを知る。

「延徳」地域はかつては遠洞湖と呼ばれる湖で、千曲川、夜間瀬川の氾濫で埋もれ、田圃となるが、氾濫が繰り返され、その都度村は疲弊した。人力で堤を作り続けてようやく暮らせるようになったのはつい近年のこと。

「中野町史」には洪水の記録が多い。

1578年 人畜の死傷数うべからず

1742年 溺死者一万余云々

小さな家ほどもある大岩が鞠のように流れてくる恐ろしさ。洪水、山津波の中で様々な水の苦しみを語る民話は日本全国に残されている。それは水との闘いの民話、水に耐える民話である。誰かが犠牲になって水を鎮めるという結末が多い。祖先の思い吐息が語り込められているようである。

黒姫童話館・その他 画像

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