【温石】/『さいはひのおとづれ』

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【温石】

🍵【温石】

長野県上水内郡信濃町柏原423-1

温うどん「おすまし」

添えもの「ぼたごしょう味噌肉そぼろ」

お菓子「洋梨のソルベ・黒糖プリン」

茶「オリジナルブレンド」

お昼の時間が過ぎていて、店内は自分ひとり。お湯が沸いている音や、オーナーさん夫妻の所作の気配などを感じながら、のんびりと過ごさせていただきました。「和」を大事にされている空間作りで、とても落ち着きます。自身の心持ちを「平和」にしていただいたようです。ありがとうございます。

こちらの「温石」さんは信濃町役場の裏手にあります。古民家改修の素敵なお店です。ここから歩いてすぐのところに「信濃村教会」があります。こちらも環境にあった素敵な建物です。信濃町は雪深いところ、古い集落が混在しているところです。その原風景の中に教会(洋)があり、「温石」(和)さんがある。歩きながら思う。それぞれ「平和」の衣装をまとい、原風景に溶け込むことで「さいはひ(幸)」に近いているのかな、と。

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『さいはひのおとづれ』

📖「さいはひのおとづれ わらべてひきのとひこたえ」

ヘボン 著

奥野昌綱 訳

ヘボン

1815〜1911

米国教会の医療伝道宣教師、医師。妻の名は「クララ」。幕末に訪日し、横浜で医療活動に従事。牧師として聖書の日本語訳に携わった。ヘボン式ローマ字を広めた人物としても知られている。

本書はその筆跡からヘボンの口述をヘボンの日本語教師の奥野昌綱が書き留め、七二年か七三年頃に横浜で作られたものとされています。アメリカ生まれのヘボンは医学部在学中に信仰に目覚め、宜教医として外国伝道を決意、同じ志をもつクララ夫人とともに一八五九年来日。日本語の研究をしながら、貴賤の別なく無料で病人の治療にあたります。また、自宅で塾(日曜学校)を始めます。外国人の子供だけでなく、多くの日本人男女の参加がありました。おのずと子供たちへの布教の必要もできて、この本(冊子)が作られました。

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この本は1873年出版とされていますが、当時はキリシタン禁制の高札が撤廃されたばかり。(明治六年(1873)二月二十四日。国立公文書館・資料名「布告三十日間掲示及従来ノ高札面徐却」)。内容はキリスト教に関する基本的な百四十五の間と答えからなります。

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間・あなたをお創りになったのは誰ですか?

答・神様です。

という問答に始まり、三位一体について、神について、キリストについて…と続きます。そして

間・天国はどのようなところでしょう。

答・栄光ある楽しいところで正しい人がずっと神様と一緒にいられるところです。

と結ばれます。

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横浜の修文館にてキリスト教禁止令が解けるのを待ち切れず、密かに洗礼を願う若者がいました。そのうちのひとりがヘボンの助手奥野昌綱でした。明治五年七月に受洗します。奥野昌綱は明治四年にヘボン家を訪れて以来、まずキリスト教書の印刷を実現することに務めます。版下を書き、国禁を怖れる版木屋を説き伏せて版木を彫らせるなど実務上のことは勿論、編集や清書、推敲に際しても常にヘボンの傍を離れず、最後まで協力したのでした。「聖書の文章に日本ふうの衣装を着せて」。こうして木版刷りの福音書の数々が横浜中に広められました。こののち、聖書の翻訳に力を注いでいきます。

明治十二年「新約聖書」の翻訳が完成。翌年明治十三年の完成祝賀会が東京築地の新栄教会で行われました。ヘボンの講演、奥野昌綱の報告のあと、詩篇が朗読されました。

「天上ところには栄光、神にあれ、地には平和、人には恩恵あれ」

上田敏を唸らせ、木村毅に絶讚させ、森岡健二も高く評価をした訳業でした。

現在、共立学園内に、聖書教会の作らせた銅のプレートが一枚保存されています。戦火をくぐって傷が付きはしましたが、「新約聖書和訳記念之地」「明治五年着手同十三年完成」という字を読むことができます。

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想うこと

今日も綺麗な夕焼け。日暮の寂しさを感じているとこの世界の「さいはひ」を願わずにはいられません。今日はJohn Lennonの命日。もう少しでクリスマス、そのあとはお正月。・・・日々、冷えてきました。皆さま、温かくしてお過ごしください。「温石」さんのおうどん、美味しいですよ。

And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let’s stop all the fight

War is over!
If you want it
War is over! Now!

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