【Arrowhead Tavern (nojiri coffee)】/『銀の匙』

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【Arrowhead Tavern (nojiri coffee)】

☕️【Arrowhead Tavern (nojiri coffee)】

長野県上水内郡信濃町野尻257−5

🍔スマッシュバーガー

☕️アメリカーノ

リノベーションcafe。野尻湖の湖畔ながらも、海外で過ごしているような気分になります。店内の調度品もさることながら、ディスプレイにはサーフィンの映像が流れていて、こんな寒い日でも、ずっと観ていられる。波に乗りたい。潮の匂いとウェットスーツの匂いも浮かんできます。窓の外から見える湖面は寒い風を受けてキラキラしている。夏の日を懐かしんでしまいます。過ごす時間が長くなればなるほど、お店の空間と時間に取り込まれていくようです。この建物のcafe以前の世界にも時空を超えて入ってみたい。

「美味しい」のなかに「懐かしい」を見つけると、ふと遠くを見てしまいます。そのなか、急にBGMも調理の音も、話し声も、パタンと聞こえなくなる瞬間がある。そこで僕は本当の懐かしい光景を見ているのだと思う。

先週末には、こちら野尻湖の湖畔で雪が積もったそうです。日陰にはまだ雪があり、桟橋の雪片はもう少しで無くなりそう。夏のシーズンが終わった野尻湖を、その野尻湖に浮かぶ琵琶島(弁天島)を眺めていると、いつものことながら寂しくなります。そんな島に篭った人がいたという。

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『銀の匙』

📘『銀の匙』

中勘助

中勘助は、静養のために明治四十四年(1911年)の八月に野尻湖を訪れ、九月二十三日から二十五日間にわたって、湖中の琵琶島(弁天島)で島篭りをしました。「銀の匙」の前編は翌年再び訪れた野尻湖で執筆されました。大正二年(1913年)には「つむじまがり」と題された後編が執筆されました。夏目漱石に送って閲読を乞うたところ絶賛を得、その推挙により東京朝日新聞にて同年、前編全57回が連載。大正4年後編全47回が連載されました。

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私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣に昔からひとつの小箱がしまつてある。・・・(中略)・・・なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩びであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。

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本棚の引き出しにしまった小箱の「銀の小匙」。私の幼少期の思い出が想起される。銀の匙は、伯母さんが私の為に見つけてきたものである。・・・「(元来ひ弱であった私に)子供の小さな口へ薬をすくひいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだといふ話をきき、自分ではつひぞ知らないことながらなんとなく懐しくてはなしともなくなつてしまつた。」・・・私の伯母さんは仏生の人で、伯母さんは人と自然を区別することはなかった。その精神は私に影響を与える。人も自然も私の苦悩を癒してくれるようになった。そして初めての友達が「お国さん」。学校に入ってできた友達が「お恵ちゃん」。広がる交流は私の知見を拡げ、自我を意識させる。自意識の強い私は学校や世間になじめず、特に教師や理不尽な兄との軋轢に苦悩する。兄との決別、伯母さんの死や様々な別れの経験は孤独な自己の存在を確認し、自我を確立させた。友人の別荘での、その「姉様」との出会いと別れは、少年が何時の間にか青年へと成長をした証ともなっている。

「信濃町公民館・野尻湖支館」 詩碑より

中勘助は、静養のために明治四十四年(1911年)の八月に野尻湖を訪れ、九月二十三日から二十五日間にわたって、湖中の琵琶島(弁天島)で島篭りをしました。「銀の匙」の前編は翌年再び訪れた野尻湖で執筆されました。

「ほほじろの聲」は大正十三年(924年)五月五日に、野尻湖での生活をなつかしく思い出して作られた詩です。この詩碑は公民館の完成を記念して昭和四十八年(一九七三)に建立されました。

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想うこと

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この「銀の匙」は、中勘助が「自伝風の小説」と語っているように、幼少期からの体験を印象記風にまとめたもの。この内容は、僕に当てはまっているところが多くて、読むのが辛い時がある。・・・長くそう思っていたのですが、そうでもないよね。実はみんなある。

伯母さんが可愛がってくれて、ずっと気にかけてくれていた・・・。小さい頃に女友達ができてよく遊んでいたが、引っ越していって今はどうしているかわからない・・・。

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あるところで読みました。「人は誰しも忘れてしまいたいこと」があるという。人生の中には色々な経緯と善悪、判断がある。間違えてしまうこともある。親、兄弟、学校、職場・・・。嫌な思い出を植え付けられた本人は冷たい仕打ちを記憶し抱え込むが、過去をどんなに問い詰めても当人は何とも思わない。間違えたことは「忘れてしまいたい」ことだからなのです。中勘助は「忘れてしまいたいこと」「思い出したくないこと」を詩情溢れる文章で書いている。僕が「銀の匙」を読むのが辛くなるのは、こういう理由なんだ、と最近思うのです。

🍔☕️🍔☕️

Arrowhead Tavern (nojiri coffee)

しばらく過ごしていると、お母さん二人がそれぞれ子供を連れて、入ってきました。小さい子供の二人は進学前と見受けられます。可愛いリュックを背負っている。子ども同士仲良し。「こんにちは」「どこに座ればいいの?」「一緒に座りたい」・・・。

僕は、子供達に挨拶をされて、はしゃぐ様子を見て。

嬉しくて、泣きそうになったので、お店をでました。

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【Arrowhead Tavern (nojiri coffee)】 画像

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