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序
《序》
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君はパリ好きだが、私は田舎がいい。ブルターニュが好きだ。
私はここに野生と、プリミティブなものを見出す。
私の木靴が花崗岩の大地に音を立てるとき、
絵画の中に探し求めている鈍い、こもった、
力強い響きを聞く。
1888年2月 ブルターニュ地方ボン=タヴェン シュフネッケル宛
「Paul Gauguin」
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🍷【Django】
🍷【Django】
長野市南千歳1丁目7−1 地下一階
🍛甘辛チーズカレー
🍷コップワイン(ツヴァイゲルト)
☕️ホットコーヒー
🧀チーズケーキ
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日曜日のランチメニュー。食べてみたかったカレーです。赤ワインとともに。ターメリックライス・野菜のマリネ・ワイン、そしてコーヒーとともにケーキ。どれも奥深い味わいです。それらが、それぞれのタイミングで運ばれてくるのが嬉しい。また、ワインの手書きシートも見ていて楽しい。当日夜に再びいただいても同じ新鮮な気分で味わえそう。美味しい時間をありがとうございます。
お客様が多くて長く営業されているお店って、独特のルールがあって、黙して食べて、お店の方にも他のお客様にも気を遣って、と、固い感じがするものなのですが、こちら「Django」さんでは、そのような雰囲気は全然感じなくて、いつもリラックスしながら過ごしています。お店の方との会話も楽しいし、カウンターでは色々な知識を分けてもらえるような気分にもなります。そういうのもありがたいです。
カウンターにて、いくつも並ぶワインのラベルを眺めるのも楽しい。(何が書かれているのか、さっぱりわからないのだけれど・・・。) いつも思うことがあって、ここのワインボトルで、ラベルの絵で小さな美術館、テーブル美術展を開催できると思う。。(キュレーター、Mさんの手書き解説シートつき)。
・・・なぜこんなに空想が膨らむのか。このお店を訪れると思うのです。星の数ほど画家さんはいらっしゃるのに「Django」さんのカウンターでは、「ゴーギャン(Paul Gauguin)」が浮かぶ。空気感なのか、ワインのラベルに描かれている女性をみるからなのか。もしかしたら絵のモデルに「似ている」からなのか。・・・酔ってワインの赤に問うているからなのか。
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🖼️『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
🖼️『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
「Paul Gauguin」
1897年から1898年にかけて描いた絵画。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。ボストン美術館所蔵。ゴーギャン49歳。病気を抱え、老いもあり家族関係もなくなり孤独が深まっていった時期である。
1897年、ゴーギャンは49歳。孤独が深まっていた時期。タヒチにいたゴーギャンに娘のアリーヌの死を知らせる手紙が届きます。梅毒、心臓病、皮膚病、アルコール依存症に悩まされ、経済的にも行き詰っていたゴーギャンは、この悲報に自殺を決意し、遺作としてこの大作を描き上げました。作品の舞台はエデンの園で、画面の中央の人物は、知恵の実を取ろうとしています。完成後にフランスの友人に手紙を送り、人が生まれてから老いるまでを描き、右から左へ時間が経過していると読む絵である、また、自身の最高傑作である、と書いています。しかし、作品には不明な部分も多く、解釈はさまざまです。画面の左上に、この作品のタイトルが書かれています(「D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?」)
ゴーギャンはこの作品の完成後に山に入り、砒素を飲みます。(結果は未遂)
この作品は、遺作として描かれたため、ゴーギャンの人生観や世界観を描いた集大成といわれています。
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想うこと
🍷✨🍷✨
諸行無常を、人の世の矛盾を、生の疲れを。
突き詰めてみたり、離して眺めてみたり、・・・忘れてみたり。
そうして、みんな、この無情の世界を生きている。
ゴーギャンは答えのないものに、はまり込んでしまった。違う世界に行こうとしていたのだと思う。「夢」は必ずしもいいことばかりではない。
「Django」さんに置いてあるワインのどれか、我々の問いに対する答えがあるような気がする。・・・だからゴーギャンが思い浮かぶのか・・・。手書きシートでも構わない。その時その時の、僕ににあうワインを教えてくださいませ。
でも・・・「砒素入りワイン」は嫌ですよ。
🍷✨🍷✨
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