【the heavy moon】
☕️【the heavy moon】
千曲市屋代2096
文月(旧暦の六月)
夕方とはいえ、まだまだ暑い。
ほんのり甘いカフェラテが美味しい。
🥛カフェラテ
🍫チョコレートナッツブラウニー
🖌️
おひとりさまで静かなひととき。
久し振りの訪問でしたが、お店に入ると「また来ました」のような感覚になります。オーナーさんのオリジナリティがブレていない。安心できます。そしてそれは、嬉しいことです。オープン時の清新な空気感がそのままなのです。プレート上の表現もコーヒーの淹れ方や香りも変わっていない。オーナーさんの「感覚的」「理知的」、両方を堪能できて嬉しかったです。また来よう。
『百人一首・清原深養父』
価格:792円 |
🌗『小倉百人一首より「36番」』
夏の夜は
まだ宵ながら
明かぬるを
雲のいづこに
月宿るらむ
夏の夜は短くて、まだ宵だと思っているうちに早くも明けてしまったが、あの美しい月はまだ西の山に沈む暇もなくて、いったい雲のどの辺りに宿っているのだろう。
清原深養父
きよはらのふかやぶ
「古今集」巻三・夏の歌に、清原深養父の歌があり、
「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」
(月の美しかった夜の明け方に詠んだ和歌)
としてでている歌。深養父の歌は六月晦日の歌の前二首めにあるので、
旧暦六月下旬ごろ、この頃は下弦の月で、月の出は遅い。そのくせ夜明けは早く、日が出ているのに月はまごまごと中天にある、という風情。
夏の夜の短さを歌った歌としては、同じ集の同じ夏の部に、紀貫之の歌がある。
紀貫之は「夏の夜の臥すかとすれば時鳥鳴く一声に明くるしののめ」古今集・夏歌
と歌っている。同じ夏の短さを歌っているが、紀貫之は時鳥の声に驚く「感覚的」。
深養父は月の行方に想像をめぐらせている「理知的」。
「月宿るらむ」の「月」の擬人化が清新な感じを与える。
清原深養父のくわしい生涯はわからない。
十世紀前半の人、官吏としての人生は不遇でうだつが上がらなかったが、
勅撰歌人であり、「古今和歌集」(十七首)以下の勅撰和歌集に四十一首が入首している。
歌のほかにも彼の名前は残った。清少納言の曽祖父としてである。
🪭
清少納言の父、元輔は、深養父の孫にあたる。
清少納言は由緒ある歌人の家柄の生まれであるがゆえに、気楽に歌がよめなかった。女房勤めした折に清少納言が「父の名を辱めたくないので歌は詠まない」といって許された、と書き残されている。また、このようなこともあった。一条天皇の中宮定子のサロンで歌合せがあっても清少納言は仲間に入らなかった。それで中宮に
「元輔が 後裔といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる」
とからかわれる始末。清少納言はすぐ、「その人の のちといはれぬ 身なりせば 今宵の歌を まつぞ詠ままし」(歌人の娘、といわれぬ身でしたら、今夜の歌合せの歌もまっ先に詠んでお目にかけるのでございますが)と返した。
しかし、歌はともかく、散文の分野で、清少納言は父祖の名と家柄を恥ずかしめぬ仕事を残した。それが「枕草子」である。
想う事
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【the heavy moon】
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夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。「枕草子(第一段)」
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かつて「枕草子」を投稿した際の調べものをしていて、何かの折に。と思って、この百人一首の清原深養父の歌を書き留めていました。七月も晦日が近づいた今日、この和歌を思い出して「月」の名前を冠したカフェに訪れてみたくなったのでした。何か繋がるかなと思いつつ。オーナーさんの作業の音が響く中、お店の書棚の一番端っこに文庫本「百人一首(田辺聖子)」を見つけました。驚き、そして嬉しくて、こんな事ってあるのか、と笑みが溢れました。不思議な世界に先回りされていたように思います。しみじみ想う、・・・いとをかし。
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月のいと明きに、川を渡れば、牛のあゆむままに、水晶などのわれたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。「枕草子(第二百三十二段)」
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