偽鈴木三重吉事件

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偽鈴木三重吉事件

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こんばんは。仕事で軽井沢。
帰り際に浅間山を眺めていました。仕事でなければ、色々な通りを歩いたり、美味しいコーヒー☕️やパン🥖でも。・・・なんて、のんびり時を使うのですが。なかなか。・・・訪れる意図が違うと軽井沢という世界も違った景色に見える。空でさえ違って見える。浅間山はどうだろうか。
・・・考えながらの帰社の途。・・・状況や時空が違っていても、自分は自分。違って見えるのは錯覚で、何も変わらない。同じなのだ、と言いきかす。自分は偽者ではない。

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「偽鈴木三重吉事件」

大正八年の春、浅間山に登って火口へ投身自殺をしようとした人物が、どうせ死ぬ身であるからとして、当時「赤い鳥」で有名な鈴木三重吉と宿帳に書いて泊まった。(「赤い鳥」は当時の花形雑誌)・・・丁度その時、佐久の詩人「三石勝五郎」氏が来ていて、これは偉い人だと持て囃したので、その男は良い気になり、小諸の料理屋で豪遊したまでは良かったものの、東京には鈴木三重吉本人のいる事がわかって、無銭飲食のかどで警察に捕われた。これは当時の新聞紙上を賑わした面白い事件であった。
この事件が縁となって翌年大正九年の夏、鈴木三重吉は家族と共に星野温泉に来ることとなった。その頃は芸術自由教育論が華やかな時で童話作家の岸辺福雄、作曲家の弘田龍太郎の諸氏が相計り翌年大正十年八月、「芸術自由教育夏季講習会」が星野温泉の高原教会で開催された。会場は材木小屋を急改造した粗末なものであったが、全国から百四十名を集めて盛大に行われた。講師は、山本鼎・鈴木三重吉・岸辺福雄・巌谷小波・弘田龍太郎・北原白秋・島崎藤村・等の当時の日本を代表する作家達が集まっての講習会であり、この講習会は非常な好評を博し、日本の芸術界に及ぼした影響は大きなものであった。

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鈴木三重吉の「赤い鳥」大正七年(1918/7/1 )創刊〜昭和十一年(1936/8 )廃刊
「現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、子供のための若き創作家の出現を迎ふる、一大区画的運動」

・・・時空を超え、聴衆として参加してみたい。「偽物さん」のお陰で軽井沢で「赤い鳥」の世界に近づくことができる。想いに耽りながら散策することができます。児童文学も好きな世界。
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軽井沢では、色々な景色を見ることができる。色々な世界に触れる事ができる。「たそがれどき」でさえも浅間山は美しい。
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