・・・・・
・・・・・
・・・・・
🥢【雪村そば・はねだし屋】
🥢【雪村そば・はねだし屋】
長野市柳原2485-2
(長沼地区に近いところ)
🌱はねだし・もりそば(350円)
〈雪村そばでございます〉
手打ちそば通販の老舗、雪村そばさんの工場に隣接する「はねだし屋」。美味しいお蕎麦を店舗でいただくことができるお店です。お店の開店11:30-14:00。早めに行かないと「はねだし」が終了してしまいます。(はねだしが終了しても閉店ではなく、通常の蕎麦をいただけます。)…通常の商品にできないそばの切り端部分「はねだし」。このはねだしが好きなのです。平たい部分があったりして楽しめる。もちろん価格も嬉しい。サッと食べてご馳走さま。
🖋️
今日は雑学メモ。紹介したい「小林一茶」がテーマの本があるのですが、それは次回、どこかのお蕎麦屋さんにて書き込みます。この「はねだし屋さん」での「小林一茶」は重すぎて。
・・・・・
・・・・・
📝《そば時や月の信濃の善光寺》〈小林一茶〉
📝《そば時や月の信濃の善光寺》〈小林一茶〉
🖋️
「そば時」とは「そばの花の時」のこと。月の光に照らされた白いそば畑と善光寺。
善光寺の東の、千曲川に近い長沼地区でよんだという。長沼地区(長沼宿)は一茶との縁がたいそう深く、門人も二十名を越え、滞在日数は六六四日とも言われています。近年に調査が進むにつれて、これらの数字が増えているらしい。
🥲
「蕎麦の自慢はお里が知れる」という言葉がある。
蕎麦がおいしいと自慢することは、貧しい土地柄であることを暴露してしまうこと。つまり「自慢にならない」という意味がある。蕎麦は痩せ地でも育つため、蕎麦が名物ということは、それだけ土地が痩せていて米が穫れないことを意味する。うかつに蕎麦の自慢をすると、自分が貧しい土地の出身であることがばれてしまう、という言葉。(信州の嫁いびりの姑さんが使う言葉…その姑さんだってずっと言われてきたはずの悲しい言葉…そもそも江戸から見たら信州人は全員…)
🌙
小林一茶が江戸の俳人、夏目成美(なつめせいび)を訪ねた。一茶の身なりがあまりに見すぼらしかったのを見た門弟は、追い返そうとした。怒った一茶は、持ってきた郷里のそば粉を土間にぶちまけ、指で「信濃では月と仏とおらがそば」と書いた。門弟が成美に知らせると「その方は信濃の有名な俳人だ。お通ししなさい」と言ったという。これから「信濃では月と仏とおらがそば」の句が有名になったという…。
この話の真偽は不明だが、長年「信濃では…」は一茶の句として愛されてきた。しかし残念ながら一茶の句ではないということがはっきりとわかっている。先述の「そば時や月の信濃の善光寺」という一茶の句があるので、これを模作したものとみられている。明治になって一茶の顕彰に尽力した中村六郎の作では?…とも言われている。一茶の同郷柏原の中村家では「信濃では…」の句は六郎が作ったものだと言い伝えている。同家の本職は酒造(銘玉の井)であったが、氷ソバというソバを製造販売していた。この氷ソバの宣伝の意味もあってこの句を作ったのだと言う、とある。…しかし、何はともあれ「信濃では…」の句は、善光寺と信州そばを長年にわたって宣伝した絶大のキャッチフレーズになった。
・・・・・
・・・・・
想うこと
🌙✨🌱✨🥢
苦労を繰り返し、辛酸な人生を送った小林一茶。若き頃、俳諧で身を立てることを願った一茶は、万葉集、古今和歌集、後撰和歌集、といった古典和歌や歌論などを猛勉強しました。…江戸の地で「はねだし」(規格外)になりたくなかったのです。
人生は誰しも苦難の連続。次第に一茶は自分のことを客観視してその思いを句に昇華させるようになります。自然を慈しみ、自分自身をも笑い、内なる心では静かに自身を鼓舞します。苦難続きの我が人生を愛したのです。
✨
されば私は丸やけにて、これまで参り候。
閏六月十五日節
土蔵住居して
〈やけ土やほかりほかりと蚤さわぐ〉
✨
…小林一茶は歳をとるにつれて「はねだし」を慈しむようになりました。
(「はねだし」の僕は、どうなることやら)
…「雪村そば・はねだし屋」さんにて。
🌙✨🌱✨🥢
———-
画像





コメント