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🫛【デンショウ豆腐店】
🫛【デンショウ豆腐店】
長野県長野市大字若槻東条1059-3
⬜️木綿豆腐
🟫厚あげ
暑いですね🫠
まだまだ忙しい。
仕事の合間に。
明日からの三連休、仕事は休みなのですが、妻の実家へ働きにいきます。「稲刈り」のお手伝い。長野に来てから(結婚してから)もうずっと。だから辛くもなんとも思わなくて、むしろ年々楽しみになってきています。先週の土日は仕事をしていたので、ずっと通しで働くことになる。頑張らないと。その気持ちのまま「デンショウ豆腐店」さんへ。お昼の食卓に豆腐があると頑張れそうだと思って。今でも農家の食卓には豆腐が似合います。みんな気に入ってもらえるといいんだけれど。
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江戸時代までの民衆(百姓)は人口の85%を占めていました。なのに、歴史を学ぶ、知る、にしても、民衆の心を描いているものに出会うことはあまりない。教科書などに描かれるものは暮らしぶりなど資料的です。民衆像のイメージは、常に権力者に虐げられ、戦乱から逃げ惑い、飢えと飢饉に苦しむ姿・・・と決まっているかのようです。江戸時代が終わるまでの文学作品において、民衆が主人公になっているものはまずない。民衆に楽しみはなかったのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。民衆も人間です。楽しいこともあったはずです。
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室町時代初期からの「狂言」には民衆の息吹が残されています。辛いことも苦しいことも「笑い飛ばす」ことで、生きる楽しみに変えていく。数ある日本の伝統文化のなかで「狂言」こそは民衆の心を読み取れる。狂言は笑いを通して人間を描く。ほぼ700年前の言葉もそのままに。
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📗『鳴子』(狂言の演目)
📗『鳴子』(狂言の演目)
登場人物
🍶主人
🍶太郎冠者
🍶次郎冠者
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主人が多場し、田を荒らす郡鳥や獣を追うため、太郎冠者・次郎冠者の両人を呼び出し、鳴子を渡して、田へ鳥追いに行くよう命じます。田へ着いた二人は、稲を干すための稲木(ワキ柱および目付柱)に鳴子を結び付け、それを引き鳴らして鳥を追った後、庵へ入って一休みします。そこへ主人が酒を持って見舞いにやって来て、日暮れになったら帰れと言って戻ります。両人が酒を酌みかわしていると、鳥が渡ってくるので鳴子を引きながら、引く物尽くしを謡い舞います。また盃を重ねて上機嫌になり、さらに陸奥の名所尽くしを長々と謡いつつ舞いますが、終ると酔いと疲れで、二人とも寝入ってしまいます。あまり帰りが遅いので、心配して迎えに来た主人が、この様を見てあきれ、揺り起こすと、二人は鳥が渡ったと思い、それぞれ盃(葛桶の蓋)と酒樽を持って「ホウホウ」と主人を追おうとするので、主人は二人を追い込みます。逃げながら鳴子を鳴らして二人の冠者がうたう、「引くもの尽くしや 名所尽くし」の謡を聞くうちに、舞台いっぱいに実り豊かな田園風景が広がるところで終曲となります。
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鳴子を鳴らして田の鳥を追うという光景は、今ではもう見られなくなりました。本曲は、そうした農村の風物(風俗)の再現としても興味深く、二人の冠者が鳴子を引き鳴らしつ
つ、引く物尽くしや陸奥名所尽くしの小歌を謡い舞うさまが最大の見どころです。
狂言画は、二人の冠者が腰掛けて向き合っています。それぞれの髷に鳴子縄を結んでいます。この状態で引き合い、鳴子を鳴らすのでしょう。髷を結わない現代では、出来そうにない演出です。しかし、和泉流最古の天理本では、「いざ手がだるいに、この縄を頭に結い付けて、頭で引かふ」とあり、頭で鳴子縄を引く演出を記しています。天理本に次ぐ和泉家古本によれば、縄を首に掛ける場合と、頭(髷)に結び付ける場合とがあったようです。大蔵虎明本にも「たぶさ(髷)」に結い付けること」と見えており、江戸初期には、すでにこれらのような演出があり得たことになります。
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想うこと
⬜️✨🟫✨⬜️✨🟫✨
豆腐は中国から日本へ伝えられたとされています。遣唐使によるとする説が最も有力とされますが諸説あり、鎌倉時代に伝来したとみる説もあります。鎌倉時代末期頃には民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がりました。そして江戸時代にはよく食べる通常の食材となったとされています。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみでした。
豆腐は民衆の生活に密着している食べ物です。昔も今も、この先も変わらない。豆腐のそれ自体は高価でも上等でもありませんが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなります。
そして僕らは「太郎冠者・次郎冠者」。
豆腐と同じ。昔も今も、この先も変わらない。
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「このあたりの者でござる」
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