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書物:📓『時間と物語』
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《序》
ホモ・サピエンスは「虚構=物語」を手に入れた。(もちろん現実は存在していて、死者が生き返ることはない。)それを手に入れたおかげで協力しあえる。人がお金や会社の価値や存在をじなかったら、国際的な貿易ネットワークは崩壊する。国家の価値や存在をじなかったら、誰も税金を納めない。そうなったら教育や医療制度は成り立たない。「虚構=物語」は人が協力しあうための道具。人は間違えてこの道具の奴隷になるから戦争を始める。
〈 サピエンス全史 より 〉
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🥗【KITCHEN SHIROBOSHI】
🍽️信州福味鶏からあげ&カニクリームコロッケ定食
☕️コーヒー
ふらりと。
平日で、さらにお昼過ぎ。ランチタイムに間に合いました。洋品店跡を改修したお店です。ホールのような大きい店内に素敵なBGMが響きます。そして料理の揚げている音がかすかに混ざっている。そこから、もう楽しい。もちろん出てきた料理も素敵で美味しい。
👩🏻「お近くにお住まいなのですか?」
いえいえ、遠くです。すみません。フラリと訪れてはInstagram投稿しています。
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…よく聞かれるんです。なぜ(あのように)書けるのですか?…って。…僕は、つまり、「自分を主人公」とした物語を作っている。良いことばかり起きるのは、自分が引き寄せて…相手も場所も、僕と同じで引き合って…。ところが、こんな解釈には「裏」がある。人間は偶然の出来事をあたかもつながりがあるかのように結びつけ、自分を物語の主人公にしてしまう。…自分に都合よく物語る…それが僕の正体なのだと思う。
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📓『時間と物語』
(Temps et récit)
ポール・リクール
第一巻
「物語と時間性の循環・歴史と物語」
時間論と物語論は対立するが、それぞれに含まれる調和と不調和の葛藤と融和によって両者は交叉し、そこから物語と時間性の循環が導き出される。
第二巻
「フィクション物語における時間の統合形象化」
歴史記述における物語の衰退、フィクションにおける筋の変容が述べられ、相互理解と間接的、派生的関係を立証する。
第三巻
「物語られる時間」
哲学的理論を取り上げる。歴史物語は過去を再考し表現するためフィクション物語を模倣する。他方、フィクション物語は歴史物語を模倣する。物語は過去の出来事に似る。歴史物語が準虚構であると同じだけ、フィクション物語が準歴史的になる。
《物語的自己同一性》
人が自らを物語の中に位置づけるという概念。自分を主人公にして自身の人生を物語にしてしまう。だが、その人物像は、首尾一貫せず、安定もしていない。時に独りよがりな物語を構築し、その中で苦しんだり、人に迷惑をかけることすらある。周囲から見ればおかしいことも、物語の中にいる自分には見えない。
《統合形象化行為》
相互作用の偶然性は、援助か敵対かの性格によって情況と合体する。結末は〈5W1H 〉で幸福か不幸に向かう運命の変化になる。…〈5W1H 〉「When(いつ)」「Where(どこで)」「Who(だれが)」「What(なにを)」「Why(なぜ)」「How(どのように)」
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ポール・リクール(Paul Ricoeur 1913-2005)
フランスを代表する哲学者の一人。物語論の代表的論者。
『記憶、歴史、忘却』(La mémoire, l’histoire, l’oubli, Le Seuil, 2000)執筆時に秘書(編集助手)を務めていたのは当時大学生のマクロン(のちフランス大統領)である。
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⭐️⚪️⭐️⚫️⭐️
良いことがずっと続いていけばいいのに…。
けれども、人生そうはいかない。
僕ら人間は悲しみを抱えて生きている。
…立ち直れないとき、辛さがこみあげてくるとき、
そんなときにこそ考える。
「自分は物語の中にいる主人公」なのだ、と。
そうすれば…悲しい物語の「終わり方」が見えてくる。
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⚪️自分が創造した物語のジャンルが違っているだけのこと。その物語が限界であると告白しなければならない。
⚪️意表つく出来事も偶然の一致も出会いも再認も含まれないような物語は、僕らは受け入れられないようになっている。だが結局、となると、その物語は知性によって受け入れるほかない。
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⭐️ここは元洋品店。学校指定の体操着など取り揃えていたという。そこからでも「物語」ができそう。カウンターでお酒を飲みながら筋立てを考えてみたい。
⭐️ 「KITCHEN SHIROBOSHI」さんにて。
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⚪️『後ろ向きに進むときには、偶然的な出来事はない』
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