お店:☕️【カフェテラス・モモ】/雑誌:📚『暮しの手帖』

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☕️【カフェテラス・モモ】

☕️【カフェテラス・モモ】

長野県長野市大岡甲7552

🍔ベジバーガー

☕️コーヒー

美味しくて、景色が良くて。

…訪れるたびに「いいこと」があるところです。

…ここの本棚も好き。

並ぶ背表紙。雑誌「暮らしの手帖」の「1971年」をあえて手にする。

そこから…。

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📚『暮しの手帖』

📚『暮しの手帖』

これは あなたの手帖です

いろいろのことが ここには書きつけてある

この中の どれか 一つ二つは

すぐ今日 あなたの暮しに役立ち

せめて どれか もう一つ二つは

すぐには役に立たないように見えても

やがて こころの底ふかく沈んで

いつか あなたの暮し方を変えてしまう

そんなふうな

これは あなたの暮しの手帖です

1946年、花森安治と大橋鎭子が「衣装研究所」を銀座8丁目のビルの一室で設立。ここより刊行された『スタイルブック』が前身。1948年9月に季刊『美しい暮しの手帖』として(第1世紀)第1号が創刊される。1953年12月の第22号から雑誌名を現在の『暮しの手帖』に変更。主な内容は家庭婦人を対象としたファッションや飲食物/料理、各種商品テスト(2007年第4世紀26号限りで中止)、医療/健康関連の記事や、様々な連載記事(大橋のエッセイ「すてきなあなたに」など)や読者投稿欄(「すばらしき日曜日」、「家庭学校」)等がある。2016年度前期放送のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』は、本誌の創業の軌跡をモデルとしたフィクション作品として制作された。

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僕が手に取った「暮しの手帖」early spring 1971」

この最後に渥美清の「僕のアフリカ」が掲載されています。

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🐘《僕のアフリカ》

…空なんか、パーッとひろがっていて、鳥がとんでいて、そりゃあ女なんか、みんな裸でなあ、とか…そういう語り口を聞いていて…行ってみたいなあ、船乗りになりたいな、とおもったんです…大日本船舶運営会から願書をもらってきて…母親は泣いて怒りましたね…。

羽仁進さんから〈ブロナ・トシ〉という映画をとるので、アフリカに行こうじゃないかという話が、もちこまれたのです。…未知の国アフリカ、そこへ行って旅する、こどもの頃の夢が、いまかなえられるような、とっても張切った気持で、出かけて行ったのです。最初は、ケニアを通って、タンザニアへ行って、そこから、奥地のマンゴーラというところ入って行きました…。

🖋️

渥美清は亡くなるまでプライベートを芸能活動の仕事に持ち込まなかったため、自宅住所や本人の連絡先は芸能・映画関係者(山田洋次ほか)や芸能界の友人(黒柳徹子ほか)にも知らされていませんでした。「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためでした。(実像はわからない)。この「僕のアフリカ」の掲載は1971年ですから「男はつらいよ」(1969年〜)での寅さんのイメージが確立する前の本人の言葉になります。アフリカについて語られる内容でありながら、思いを伝えるために自身について深く掘り下げて説明しています。本人の言葉ですから、どの書物より「渥美清」の実像がわかります。…驚きました。

☀️《女と暮すなんてつらいよ》

ぼくはねえ、やっぱり女のひとが好きだし、とても女に惚れるけれども、できることなら…すこし離れてみていたいですね。たとえぽ、もの書きがかいた物語りとして、画描きがかいた画として、みていたいのです。…もしそうだったら、絶対その人を裏切らない、というほんとの自分の気持、そういう自信はありますね。絶対、お前さんに捧げた自分の気持は、たとえ手をさしのべて、なでてやることはできなくても、その気持にうそはないよ、といい切れるなにかがあるんですよ。ところが、これが生身の相手で、いっしょに暮していくとなると、やっぱり裏切らなきゃあ、生きていけないんじゃないかという気がするんです。…わがままないい方でしょうけれど、やはりいっしょに住み、いっしょにこどもを育て、いっしょに生きていくということは、つらく、しんどく、大へんなことなんじゃないでしょうか。

🍊《渥美清》

あれは十七か十八の頃でした。こたつの中で、小説本を読んでいたんです。するとそのなかの人物に、渥美悦郎っていう名前があったんです。字つらがきれいなんですよ。いい名前だなあ、とおもったんです。…(座長が)悦郎という名が、読みにくかったんでしょう。そこで、渥美ともう一度言い直して、清、とつづけたんです。渥美清。…あとで座長のところへいって、ぼくは清じゃありませんよ、悦郎です、といっても、悦郎なんて語呂がわるいよ、清がいい、そうしちゃったんだから、そうしとけ。それ以来、渥美清なんです。とうとう、このぶんじゃあ一生、エッチャンにはなれそうにありません。いまだに、なりたい気持はあるんですがねえ…。

🖋️

映画:『ブワナ・トシの歌』(1965年)

監督:羽仁進

岩波映画から独立して、昭和39(1964)年に、初めてアフリカに行って「ブワナ・トシの歌」という映画を撮りました。渥美清さんが主演だったんですが、映画を全く知らない奥地の人たちが、渥美さんを指して「この人は偉い」と言い出したんです。監督は僕だというのに、現地でも貴重な蜂蜜が手に入ると、一番最初に渥美さんに持っていく。僕になんて回ってこなくて、憤慨しましたね(笑)。渥美さんには、何か不思議な、原初的な人間の魅力があったんだと思います。

(羽仁進)

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想うこと

🐘✨🍔✨☕️✨

書きたいことがたくさんあって…。

(僕は、偶然を引き寄せて自分を主人公とした物語を作っているだけのこと)

カフェテラスモモさんで引き寄せた「暮らしの手帖」early spring 1971」。

《幸せな1971年(この4年後に不幸がくる)》

《おそらく手にしていたであろう人を想って》

…そこから知識が広がる。偶然を装って引き寄せた必然。

これは あなたの手帖です

いろいろのことが ここには書きつけてある

…これは あなたの暮しの手帖です

🐘✨🍔✨☕️✨

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