・・・・・
📝
平凡に徹したつつましい奥さんが、良人の蔭のうちで、絵画や、音楽、文学、他々なことをひそやかにたしなみ愛してある姿は清楚で愛らしいとおもひますがどうでせうか。此様な気持ちは文化運動にたづさはつてゐる知識婦人達には、進歩的ではないと嗤はれることかもしれませんけれども。わたしは阿米夜宗慶の女房つくる尼焼茶碗のやうに、孤独で自然のすべてを愛し愛せられたら幸福だとおもってゐます。女の愛情で充ちた、世の中のことを考へるだけでも素敵ではないでせうか。
《林芙美子》
・・・・・
・・・・・
🥃【スナックめぐみ】
善光寺門前マリカブルーイングさんにて。
春ららら発売記念
特別企画『スナックめぐみ』1日限り openです
🍺春ららら
美味しいビールと、この夜限定のおつまみ各種。いつもと違う空間での素敵な夜です。
ビールのピンクが美しい。めぐみママのコレクションの豆皿がかわいい。ママとチーママの艶やかな姿。「美しい・かわいい・艶っぽい…」懐かしいような夜の世界。
・・・
「スナック」という女の世界に入った男は、「女」の不思議に戸惑う。
プロレタリア文学「キャラメル工場から」(1928)を執筆した〈佐多稲子〉さんが《(茶わん)と(女らしさ)》について書き残している。
・・・・・
・・・・・
📕『女茶わん』
佐多稲子 1959
📝
…(少しの贅沢として)好きなお茶わんで食事をするととても心が豊かになって、朝夕が楽しかった…あるとき私の茶わんが割れてしまって、代わりを買わなければならなくなった。新しい茶わんを買うたのしみがあるので私は茶わんの割れるのをそんなに辛く思わない。…丁度ある店で私は好きな茶わんを見つけた。…がそれは桐の箱に湯呑みと揃って入った夫婦茶碗…私は女ものを指して、分けて売るかときくと、よろしいとの返事で、私はその女ものだけを買った。…友達の壺井栄さんに見せて自慢した。すると栄さんはそんなに気に入ったものならみんな買ってくればよかったのに、と。…私は、女らしくもないくせに茶わんを買うときは女ものだけをわざわざ買った…そんなときだけ女らしくしている…分けて買ってきたというそのことも女らしい。いわばケチくさいことだった、こう言うと壺井栄さんは女らしくないかというふうになってすまないが、そうではなくて茶わんの買い物に女らしさが出ておかしいのですと言った。…私は、私としては贅沢をするつもりなのに、女らしく無意識のうちに自分を制御していた…女はいつも自分を自分で押さえている…私はそれに反抗しているつもりなのに…茶わんの買い物にいつ知らず〈女らしさ〉が出てしまった…さいわいその茶わんは割れないで今も使っている…
🖋️
《佐多稲子》 (1904-1998)
1930年代という冬の時代を力強く生き抜く女主人公を小説に描いた。
雑誌『戦旗』での執筆が縁で、壺井繁治と、その妻、栄と親交を持つ。のちに栄は生活苦もあって雑誌社の懸賞に応募するようになっていくが、その折に彼女の作風を見た稲子は、その素質をプロレタリア文学ではなく娯楽小説、特に児童文学(童話)向いたものであると気付き、童話や一般小説を執筆するように説いた。これによって壺井栄が執筆したのが、彼女の後の商業デビュー作となる「大根の葉」であり、以降、栄は稲子の予見した通り児童文学作家として活躍し、のちに映画化もされた『二十四の瞳』を執筆する。
・・・・・
・・・・・
🌸✨🌸✨🌸
今日のこの空間は「スナック」…『スナックめぐみ』
めぐみママは、気に入った豆皿をみつけると。それがセット品の一部だった時は、「セットごと買う!」だそうです。〈女らしさ〉というものを考えたく、先人達の言葉を借りたけれど、実のところ、女は〈自分らしく〉で、すべてが〈女らしく〉なるものなのだろう。
🤔
…スナックか。懐かしいな。よく行きました。
🥲
女と男の肉体的な能力のうち、男がまさっているのは「瞬間的な暴力だけ」と、聞いたことがある。悲しいことだけれど、なるほど、と思う。「男」は困った生き物。我儘を押し通すために瞬間的に暴力を使う。手をあげたり大声を出したり…。そんな男に対して、上手にあしらうことができる術も「女らしさ」。…様々なスナックで見てきました…情けない男たちに振り回されながらも、力強く生き抜いていく女が「女らしい」のです。
✨
📝
芸者の手指は冷たいところでお値打ちだ。来た妓が、いきなり「こんなに冷たいのよ」と客の襟首や、頬ぺたへつけるあたり、商売上手な仕草で、心得ておくべき事である。帰り際の握手なんか、なんでもない事だが、これが一番効果がある。…妓の冷たい手や足は、男性にいい気分を味わえるものだから、不思議なものだ。
《坊野寿山》
✨
またね。
いつもお行儀のよい「さきた」でした。
🌸✨🌸✨🌸
———-







コメント