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🥗【ヒマビヨリ。】
🥗【ヒマビヨリ。】
長野県須坂市須坂1298−14 1F西側
今日は曇りの日。「ヒマビヨリ」さん、オープンは11:00〜。その時間まで須坂駅の周辺を散策しました。なかなか新鮮な気分。駅前から東側を眺めると建物を挟んで左右に「末広町通り」「平和町通り」という緩やかに登っていく道を眺めることができます。見通しがよい。むかし、須坂の銀行の元支店長さんに聞いたことがある。(間違えていたらすみません💦)須坂は製糸業で栄えていた時代があり、輸送が第一の目的として駅ができた。坂の上の工場にはたくさんの女工さんがいた。(最盛期は6,000人以上)。その女工さんが「脱走」したとき、道は必ず真っ直ぐに駅に向かうから「捕まえやすかった」…らしい。そんな話を聞いた。思い出した。本当かどうかはわからないけれど、女性が悲しむ時代がどこかにあったのことは間違いない。
🍕パイナップルとコーンのピザ
☕️ホットコーヒー
🍫求肥とアイスのガトーショコラ
この取り合わせ。僕って「甘党」なんだな、と改めて思う。(女子かよ💦)
蜂蜜は全部かけた。コーヒーに砂糖も入れた。幸せです。ご馳走さまです。また来ますね。お店の一番乗りのいいところは、自分のための調理の音と、「香り」を味わえること。そしてのんびりできること。この街の空気に想いを馳せることもできる。コーヒーを飲み、丸窓から街を想う。
栄華を極めた須坂の製糸業は下り坂となる。駅に向かう坂道のように。須坂だけではなく、日本中が関東大震災後から暗くなっていく。芥川龍之介は関東大震災(大正12年)後、東京の汁粉屋が次第になくなりカフェだらけになったと嘆いている。「クラブで汁粉を啜りながらチャップリンの話をするニューヨーク子やカフェでやはり汁粉を啜るパリジャンの画家を思い描いている。そんな自分は暇人に違いない…。」
芥川龍之介は「暇人」ではないさ。僕もそうだもの。甘い蜂蜜をかけたピザの後に求肥も笑顔で食することができる。過ごしているこの日が「暇日和」なのさ。
芥川龍之介には想い人がいた。女性が悲しむ時代にあって、彼が憧れる女性には「品格」が溢れていた。その人のエッセイが、《十月の項》が、今日にとても当てはまる。
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返して来ておくれ、僕が行くといいんだけれど…と云つたさうだ。
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📕『片山廣子随筆集 – ともしい日の記念』
📕『片山廣子随筆集 – ともしい日の記念』
随筆+短歌。単行版未収録の2作品も追加
《十月 溜息する》
🔖よめいり荷物
彼女のためには良人と子供たち、それに良人の働いてゐる世界とかが彼女を取り巻く
🔖「子猫ノハナシ」
さめない眠りの中で私も童話のやうな子猫の世界に遊びにゆけたら幸福であらうと
🔖花屋の窓
静かなおちつきの世界を芥川さんも私もおのおの違った時間に覗いて見たのであった
🔖銀座で
可愛い子猫をお手に載せて背中のごみを吹いておやりになるような御様子だつた
🔖むかしの人
やっぱり私は寂しい。死んだ人もある時は寂しくなって私どもの事を想い出すのでは
🔖Kの返した本
はじめに、だれの紹介もなしで訪ねて来た人だった。
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片山廣子
1878〜1957
芥川龍之介晩年の作品『或阿呆の一生』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と書かれ、『相聞』で「君」と歌われたのは片山廣子の事だと言われている。堀辰雄の『聖家族』の「細木夫人」、『菜穂子』の「三村夫人」のモデルとも言われている。
娘は小説家の片山総子(筆名:宗瑛)。1907〜1982。総子は堀辰雄の『聖家族』の絹子、『菜穂子』の菜穂子、『ルウベンスの偽画』のお嬢さんのモデルとなった人物で、堀は総子について「彼女の顔はクラシックの美しさを持っていた」と記している。
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想うこと
🍍✨🌽✨
地元の方でしょうか。女性がふたり入って来た。幼馴染らしい。子供が通う学校の話などに花を咲かせている。今を生きる女性たちは…、ではなくて。…僕ら男は勘違いをしている。いつの時代も女性は輝いていて、男ほど「ぼんやりとした不安」にかられる人生は送らないものなのだ。そして甘党の男ほど「強い女性」に憧れるのだ。(「弱い女性」にもね😉)
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☕️折々私は考へてゐる
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🍍✨🌽✨
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