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⛰️【飯盛山】
標高1,643m
〈長野県南佐久郡南牧村〉
山は中央分水嶺上にあり、北側斜面に降った雨は日本海側河川の千曲川へ流れ、南側斜面に降った雨は太平洋側河川の釜無川へ流れている。
天気が良い日(寒い😨)。霜柱を踏み締めながら。小さくて可愛い山に登って来ました。「しし岩」がある平沢峠の駐車場からのんびりと一時間半ほど。この「こんもり」とした山に登ってからの景色が素晴らしい。富士山が綺麗に見える。…富士山…昔々の思い出が多すぎて辛い。僕はいくつかの山頂に立ってきた。山頂から澄徹した空気を透して見る青空、星空は、地上で仰いだよりも幾倍も美しい。(天然の天文台に立っているようなものなのか。)…でもどんなに高い山、富士山の山頂でさえ、天は地上で望んだのと同じに依然として彼方に蒼蒼として高かった。僕は、ただ「高いところ」へ憧れているだけ…美しいもの、気高いもの、偉いもの、神秘なもの、に。
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🧗♂️〈フォッサマグナ〉
これは「大きな溝」あるいは「大きな裂け目」という意味のラテン語に由来する言葉ですが、それを最初に用いたのはドイツ人学者のナウマン博士でした。
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「…この大きな溝は、最初の旅行の時にすでに私を驚かせたのであるが、それは一大横断裂罅の地表における明確な軌跡を意味する可能性があり、それに対しては特別な名前をつける値打ちがあるので、地表における形態をも考慮してフォッサマグナという名称を提唱したのであった…」
「フォッサマグナ」エドムント・ナウマン著。山下昇訳(日本地質の探究:ナウマン論文集東海大学出版会)より抜粋
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明治8年(1875年)、時の政府の招きでドイツからやってきた地質学者のナウマン博士。来日したその年の秋11月、早くも彼は調査のため、東京を出発して…旅に出る…。
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📗『地質学者ナウマン伝』
〜フォッサマグナに挑んだお雇い外国人
矢島道子
2019年10月25日第1刷発行
…あなたの日本での足跡を追いつづけてきました。日本の中央を南北に走るフォッサマグナという地質構造を来日二カ月で発見したあなたの仕事は、今、日本でほとんど忘れられ、ナウマン象化石の名前の由来してわずかに知られているだけです…あなたは生涯をかけてフォッサマグナの成因を研究しましたが、あなたが亡くなってからも、現代の私たちに至るまで、まだ素晴らしい解答にはたどり着いていません。将来もフォッサマグナの解明は、日本列島の地質構造について新しい解釈を導くことでしょう…
矢島道子
(古生物学者・科学史家)
🗻
ナウマンがマルセイユから乗船した蒸気船メンツァレー号は、スエズ運河を通り、インド洋を越え、香港に寄港ののち、横浜に着いたのは一八七五(明治八)年八月一七日、故郷を出発して四八日目のことであった。弱冠二〇歳にならんとするナウマンを最初に迎えたのは美しい富士山だった。
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ナウマンに待ち望んだ旅行免状が下り、一一月四日、はじめての旅行に出発した。この年六月に浅間山が噴火し降灰していたことに関心があり、浅間山登山が目的だったが、これが第一回目のフォッサマグナ旅行となった。
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ナウマンたちは、中山道沿いを高崎から碓氷峠を経て信州へ入り、佐久を経て千曲川の谷をさかのほり、一一月一二日夕刻、広大な野辺山高原に到着した。「およそ一三〇〇メートルの高い峠(獅子岩の峠、約一四五〇メートル)に着いた時ちょうど、低くたれこめた黒雲の間から満月が姿を現し、あたり一面に銀の光を注いだ。右手には雲の上に、雪を満たした谷を抱くハケ岳山地の峰々が、月の光に照らされて、濃い雲に支えられるように、明らしくそびえていた。(中略)足もとでは際限なく雲が流れていた。高い山の上では嵐が来てゴーゴーと吹き荒れていた。」
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平沢という寒村で、ナウマンは、あらかじめ先行させた従者と合流して、みすぼらしい家に宿泊した。なんとか布団に潜りこんだが、夜半過ぎまで嵐の強風で建物が揺れる、雨戸が外れる、調度品が鳴る、で「一晩中休ませてくれなかった」。嵐が通り過ぎた一一月一三日。起き出したナウマンが見たのは、生涯忘れることのない光景だった。
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⛰️✨🏕️✨📡
寂しい平沢村で一晩を過ごした「ナウマン博士」。
翌朝、平沢峠で目にした景色は、どれほど素晴らしいものだったのだろうか。
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「…朝になって驚いたことに、あたりの景色は、前日歩きまわったときと全く一変していた。それはまるで別世界に置かれたような感じであった。私は幅広い低地に面する縁に立っていた。対岸側には、三〇〇〇メートルあるいはそれ以上の巨大な山々が重畳してそびえ立っていた。その急な斜面は鋭くはっきりした直線をなして低地へ落ち込んでいた。その山麓に沿って、一筋の流れが北西から南東へと走っているに違いないことは、疑いないところであった。左の方には、われわれが越えてきた山地から低地へ向かって、枝尾根と横尾根が突き出ていた。南南東の他方には、巨大な富士山が空高くそびえていた。…」
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ナウマン博士が見た景色を眺めながら、考える。
…「ほんとうのさいわいは一体何だろう」
⛰️「飯盛山」にて。
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