お店:🍚【食堂かたつむり】/書物:📗『本所両国』(芥川龍之介)

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🍚【食堂かたつむり】

長野県長野市信州新町信級5554−1

🍚日替わり

🥟餃子定食

長野市信州新町「長者山(1,160m)」へ登ってきました。

山頂からは、北アルプスの表銀座から後立山まで見渡すことができました。北アルプスはまだまだ厳しい冬山の姿。山頂でゆっくりと過ごしてきました。信州新町あたりでお昼を食べようと思って、信級集落をゆっくりと抜けて(行きは気が付かなかった…)。「食堂かたつむり」さんの暖簾が目に入りました。…直感です。お邪魔しました。

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先客さまに、地元の人かな?ココに馴染んでいる空気感…お母さまと息子さんでした。須坂市から一年振りに来店したとのこと…この信級集落の生まれ、幼馴染に会ってからココに食事に来られたとのこと。…九十歳越のお母さま…。元気な方でした。この「食堂かたつむり」のオーナーさんのお母さまと同級生…。色々とお話を伺わせていただきました。これだけで一冊の本ができそう。

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雑談の折、オーナーさんが「私の本職は〈本〉、〈出版社〉…」、おやっ?興味深い。

本棚にある、関わられた本のいくつかを眺めてみると、読んだことのある本が二冊ありました。ひとつは善光寺界隈のガイドブック本。もう一冊は「童心芸術家・横井弘三」。

《横井 弘三》

1889〜1965

洋画家。戸籍名は「ひろぞう」だが、「こうぞう」と呼ばれることも多い。別名に銀河、釣月、耕雲など。丹念に描かれた素朴な印象の作品から、「日本のアンリ・ルソー」と呼ばれた。

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この横井弘三の本に文章を寄せた「ある方(2025逝去されています)」の話をさせていただきました。もちろんご存知で、オーナーさんは取材を通じ、その本人と結びついていらっしゃいました。色々と貴重なお話を聞かせていただきました。ありがとうございます。。

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横井弘三は、関東大震災にあった子供たちを慰めるため、おもちゃなどを題材にした油彩画を小学校に寄贈し…後に「童心芸術社」を創立する…。

…《関東大震災(1923年9月1日)》…

この日以降、日本は大きく変わっていく。但し、暗い方向へ。震災後の街を彷徨い歩き、変わっていくもの、変わらないもの、を書き留めた作家がいる。

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📗『本所両国』

芥川龍之介

初出:「東京日日新聞」   1927(昭和2)年5月6日~22日

…僕は船端に立ったまま、鼠色に輝いた川の上を見渡し、確か広重も描いていた河童のことを思い出した。河童は明治時代には、──少なくとも「御維新」前後には大根河岸の川にさえ出没していた。僕の母の話によれば、観世新路に住んでいた或男やもめの植木屋とかは子供のおしめを洗っているうちに大根河岸の川の河童に脇の下をくすぐられたということである…

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『今ではもう河童もいないでしょう。』

『こう泥だの油だの一面に流れているのではね。──しかもこの橋の下あたりには年を取った河童の夫婦が二匹今だに住んでいるかも知れません。』

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本と出会う、図書館にいく、古本を読み漁る…。

これらは本を通じて「教えてもらう」ことに等しい。

(「ある方」が遺した物語からも教えていただいた…)

限界集落のなか、人々が集まる食堂「かたつむり」。

ココは本の中にいるのか、と感じる空間。

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僕らは先人たちの足跡をたどっている。

ゆっくりと、雪山を登っていくように。

書物も生きる術も同じこと。

そこに続く僕らが、また足跡を深くする。

…たまに考える。この道に一番の足跡をつけた人は誰だろう。

泰平の世を願った聖人か…、

(変わり者と呼ばれても)

博愛主義を貫いた「芸術家」か…、

僕「その外に何も書けるもんか、若し何か書けるとすれば……そうだ。このポケット本の中にちゃんともう誰か書き尽している。」

僕「これですか? これは『方丈記』ですよ。僕などよりもちょっと偉かった鴨の長明という人の書いた本ですよ。」

…芥川龍之介〈本所両国〉より

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