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もうすぐ「クリスマスイブ」。
あえて、「和」を訪れました。
☕️【寺町商家(旧金箱家住宅)】
☕️【寺町商家(旧金箱家住宅)】
長野県長野市松代町松代1226-2
ワンデイシェフ及び貸館利用日以外は、スタッフによる喫茶営業。
☕️ホットコーヒー
🥧アップルパイ
寺町商家(旧金箱家住宅)は、真田十万石の城下町である松代において、江戸末期から昭初期まで質屋等を営んでいた商家「金箱家」の旧宅です。この歴史的建造物に入ることができるのは、松代町の「まちづくり」のおかげ、そして松代町の人々の「あたたかみ」のおかげ。
日本庭園を眺めながらのんびりと過ごさせていただきました。ずっとひとりでした。(いつものことですけれど)…もうすぐ「12/24」。世界中の誰もが知るイベントの前に、松代町の「和」の場所でのコーヒーです。ミニストーブで足元を暖かくしてくれました。ありがとうございます。
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過去の姿が残る松代町の景色を見たくて。
松代町出身の作曲家「海沼實」の足跡を見たくて。
ここを訪れたのです。
ここからすぐ近くの「つつみ公園」。
童謡の石碑があります。
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🎹『里の秋』
🎹『里の秋』
作詞:斉藤信夫
作曲:海沼實
1番)歌い出し
静かな 静かな 里の秋
2番)歌い出し
明るい 明るい 星の空
3番)歌い出し
さよなら さよなら 椰子の島
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千葉県山武市出身の作詞者「斉藤信夫」(1911〜1987)は、小学校の教職のかたわら詩を教材雑誌に投稿していました。その雑誌で作曲家「海沼實」の存在を知り、海沼と面談をしたのちに手紙を交わします。1941年12月8日の日米開戦で愛国心が高揚、「身も心も日本のために」と感涙しながら書き上げた『星月夜』の内容(特に3、4番)は、戦意高揚の詞でした。これを海沼に郵送しましたが、返事はありませんでした。…斉藤信夫は終戦を境に(軍事教育をしていた)自分を反省し、教職を辞めてしまいました。
『星月夜』
3番)歌い出し
きれいな きれいな 椰子の島
4番)歌い出し
大きく 大きく なったなら
🖋️
長野市松代町出身の作曲家「海沼實」(1909〜1971)は戦争中、多くの歌手や作詞家、作曲家らが東京を離れ疎開する中、毎日のようにNHKスタジオに通い、子供達のために童謡を放送し続けていました。終戦を迎え、海沼は放送局からラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后』に使う曲を依頼され、要望に合った歌詞を探します。そして見つけたのが「星月夜」でした。そのままの歌詞では使えないと判断した海沼は、すでに教師を辞めていた斉藤に電報を打ちます。受け取った斉藤はすぐに海沼に会いに行き、「星月夜」の歌詞を書き変える作業を始めます。ですが、1、2番にうまく結びつきません。それでも、と苦労してかきあげ、海沼へ渡します。放送当日に完成。曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日でした。かくして1945年12月24日午後1時45分、『里の秋』は当時小学5年生の川田正子の声に乗って全国に流れました。放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組『復員だより』の曲として使われました。…戦争で傷付いた人々の心を慰めたのでした。
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さよなら さよなら 椰子の島
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想うこと
🎄✨☕️✨🎄✨☕️✨
もうすぐ「クリスマスイブ」。
「12/24」って。
特別な日なのだと思うのです。
世界中で。戦時中の国でも。戦後間もない国でも。
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「12/24」。
秋ではないのに秋を冠する曲が発表された日。
凍えそうな日。時の速さを振り返る日。
「サヨナラ」が多い日。…夢が叶う日。
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この日、
僕らは、この手のひらに、
幾つ「幸せ」を受け止めることができるのだろう。
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「寺町商家」さんにて。
🎄✨☕️✨🎄✨☕️✨
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