GAUCHE
ゴーシュGAUCHE(ゴーシュ)
長野市南千歳2丁目15-20
🍋レモンチェッロソーダ
(イタリアのレモンリキュールのソーダ割り)
🍓イートンメス
(イギリスで初夏のはじまりに食べられているデザート)
涼しい風。心地よく感じる。デザートも飲み物も、美味しい。夕暮れ迫る時間なのに、この気分の良さを感じることができるのは、ゴーシュさんのテラス席だから。そして「ひとり」だから。小さくても、想いに耽る場所となる。いつもいつも有難う御座います。とても美味しかったです。
cafeは、時として夢を見る世界になる。
友達同士で訪れると、純粋な夢が愉しみを生み出す。
男女の二人には、夢が愛を生むかもしれない。
ふと考える。「夢」が「幻想」に置き換わっていないか、と。「幻想」を保つために、ただただ、歩きまわって、巡ってばかり、を繰り返していないか、と。「幻想」は「日常」にはならないもの。
自分だけの時を作り出してくれる夢。それを求めて彷徨う僕は、ひとりでよい。もし「幻想」になっているならば、壊さないように。壊れることを怖れないように。
ヴェージニアウルフなんかこわくない
「ヴァージニアウルフなんかこわくない」
( Who’s Afraid of Virginia Woolf ?)
エドワード・オールビー 1928~2016
1962年 ブロードウェイにて初演
ニューイングランドの小さな大学の構内にある家の居間にて。日曜日の朝から、悲喜劇が始まる。登場人物は四人。
マーサ…52歳。大柄ではしゃぎ回る女性。若く見える。
ジョージ…46歳。マーサの夫。痩せていて髪は白髪混じり。
ハニー…26歳。金髪の女性。不器量。
ニック…28歳。ハニーの夫。金髪で逞しく、ハンサム。
マーサとジョージは、皮肉や憎しみ、傷つけ合う言葉、自己嫌悪を用いて喧嘩を繰り返している。感情を抑圧された知識人にありがちなことで、「遊び」として空虚なコミュニケーションがなされている。この「遊び」に客として招かれたはずのニックとハニー夫妻も巻き込まれていく。ふざけているのか、真剣なのか。嘘をついているのか、本当のことを言っているのか。曖昧で区別がつかない。区別することを放棄しているようにも見える。「遊び」の内容がより過激になっていく。相手を脅し、馬鹿にし、嘲りながら情け容赦ない攻撃を浴びせる。ユーモアとしては残酷すぎる。それをやめさせるためジョージは歌い出す。ジョージがマーサと結婚したのは、一見財産と地位が目的だったようにみえるが、純粋な感情からだったのだ。
「オオカミなんかこわくない。ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」
お互いに同じ空想をして作り出した幻想は、絆を強める。幻想は「ゴトーを待ちながら」のゴトーのように人間が作り出した救世主になり得る。この幻想が無くなってしまうと、頼る運命も見出せず、本当の空虚となる。絶望のどん底に陥った二人は、お互いを頼りにし、慰め合う。共有された虚しさは愛を生み出した。その愛は無と紙一重。しかし決して無ではない。
ジョージは、それをわずかに信じて
「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」
と静かに歌う。
しかし、マーサは
「ヴァージニア・ウルフ」
を恐れる。
この二人の、問題を解決する知恵は「幻想」だったのだ。
感情を抑圧された知識人にありがちなこと。
帰りに図書館へ。いつものように。
本の世界を歩き回って、やはりいつものように。
cafe mocha が美味しい。
今日の最後、僕に合う「夢」のひとときは、自販機。
これは「幻想」ではない。
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